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2009-05-26(Tue)

鈴木祥子『鈴木祥子』

 「リアルなもの」とは何だろう。それに完璧な答えを求めることは難しい。ひとことでいえば、現実その全てがリアルなものということになるのかもしれない。しかし、現実の中で生きている以上、現実だけを見て生きること、現実を全て受け入れて生きていくことも難しい。人間は夢を見る生き物だから。だから、現実逃避をしたり、「本当の自分探し」なんていう行動に走る。それは決して褒められたことじゃないかもしれないけど、ひとことにバカにすることもできない。そんなに強い人間はいない。



 鈴木祥子は10年くらい前から、自分を確認する作業に入った。人間の中に潜む多くのタブーを言葉と歌で表現し、その生々しい歌の数々に耐えきれず、多くのファンが離れていったことだろう。しかし、彼女はその表現を止めなかった。最初の方こそはぎこちなさが感じられたものの、その音楽はどんどんスピリチュアルな感覚を増していった。2000年にメジャーとの契約が切れてからは、ライヴ中心の活動が続いた。そこで見せてくれた音楽的な高まりは、インディーズで発表されたライヴアルバムにその一部始終が収められているものの、その現場に立ち会ったものであれば、そのCDの内容には満足していないだろう。その空気の震えは、決してCDに刻み込むことはできないものだからだ。


鈴木祥子
鈴木祥子『鈴木祥子』
Wonderground Music(2006年)

1. 愛の名前
2. Love is a sweet harmony
3. 何がしたいの?
4. PASSION
5. 契約 (スペルバインド)
6. ラジオのように
7. Frederick
8. 忘却
9. LOVE/IDENTIFIED
10. BLONDE
11. 道



 このアルバムは、スタジオ録音としては5年ぶりとなるアルバムだが、リリース当初から賛否両論に分かれている。まずはあまりにも荒っぽい録音。荒っぽい歌や演奏。声がひっくり返ろうが、多少のミスをしようがおかまいなし。感触としては、メジャー最後のスタジオ盤、『Love, Painful Love』に近い。音抜けが悪く、デモテープ並みの音質。引っ込み気味の歌も、今のマスタリング技術なら何とでもなるはずだ。しかし、彼女はそれをしなかった。スタジオ盤なんだから、もうちょっと聴きやすいものを、というファンの声もあるが、これが彼女の求めたサウンドだったということだ。ひとことで言えばLow-Fiである。その意図はどこにあるのだろうか。

 近年の彼女のオリジナル曲は、安易に共感することを許さない。あまりにも私的だったり、愛の意味を半ば暴走気味に追い求めたり。しかしそれは、理想を追い求めるものではなく、痛いほどに現実に向き合おうとする姿だった。だからこそ、かつて「戻るべき家」を探し続け旅をしていた彼女の姿に惹かれていた多くのファンは、目を背けなければならなかったのだ。探し求めた「家」で、彼女は「愛」の意味を確認する作業を始めた。矛盾する言葉が同じ意味として同居し、その答えと行く先を手探りで探しつづける彼女。そんな歌を「音楽」として楽しむことは、リスナーにとってはハードルが高い「作業」だ。しかし、このアルバムに収められた歌の数々を聴いて、気持ちの昂りを押さえられない自分を発見することができるし、決して共感しているわけでも同情しているわけでもないのに、なぜか涙が止まらなくなる。それが「リアルなもの」に触れた証なんだろうか。だからこそ、サウンドも着飾ったものであってはならないし、出来る限り生々しいものでなくてはならない。



余りにも重い言葉がここにはある。

"病院にいるおばあちゃんに訊いてみたいよ、"すべて忘れていくことは幸せですか?”(「忘却」)

"あの古い病院であたし、生まれたんだ、そこでお姉ちゃんが死んだんだ。
涙が出なかったんだ、すごく、突然だから。
あなたがいてくれたから、ぜんぶ、取り戻した"(「道」)

このアルバムには「あなた」が幾度となく登場する。この「あなた」とは誰なのか。それによって、ここに歌われている言葉の意味は大きく変わる。その答えははっきり示されていないが、僕には「自分の中にいるもう一人の自分=本音」という風に聴こえてきた。

"警告したいの、愛なんてないの。
軽蔑したいの、愛より深いの。"(「Love / Identified」)

ここにあるものは「魂に限りなく近づこうとするもの」なのか、「刹那的な諦観の快楽主義」なのか。その答えが出るのはまだまだ先だろう。



 最後に、サウンド的な観点から。カーネーションと一緒にレコーディングされた「ラジオにように」の再演版とPatti Smithのカヴァー「Frederick」の意味が良くわからない。「ラジオにように」はあまりいい演奏とは言えないし、「Frederick」もほぼ完コピ状態で、スタジオで録る必要があったのだろうか。ハッキリいってライヴの方が出来がいい。逆に、「忘却」の楽曲としての完成度はすさまじいレベルに達している。この振り幅はなんとかならんものか。

 大好きな人だけに、どうしても深読みがすぎてしまう。困ったもんだ。

(2006.3.18)
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